さざえ堂を見たあとは、いよいよ飯盛山の山頂へ向かいます。
ここも昔、修学旅行で来たはずなのですが……どんな場所だったのか、ぜんぜん記憶にないんですよね。

お土産物屋さんの前を通ってぐるっと歩くと、会津の街並みが見えました。
上からみると、ところどころに雪が残っているのが見えますね。
雪国は冬の空気がしっとりとしていて心地よいです。
半透明の屋根がずっと続いている長い通路は、たぶん運休中の「動く坂道」。

そしてこの場所が、さっき凍っていて登れなかった階段の上。
上から見下ろすと、階段は思っていた以上に急こう配で、なかなかの迫力。
無理して上らなくて良かった……
雪の広場に並ぶ慰霊碑・飯盛山山頂
山頂に着くと、ぱっと開けた広場になっていて、ふもとよりも雪がしっかり残っていました。
誰もいないし、空気もひんやりしていて、なんとも言えない静けさが漂っています。
広場にはたくさんの石碑が立ち並んでいるのですが、よく見るとすべてお墓。

その一角に、ブロンズ色の鳥のモニュメントがありました。
ローマ市から贈られた慰霊碑だそうで、白虎隊士の武士道精神に深く感銘を受けたローマ市が、昭和3年(1928年)に寄贈したとのこと。
しかも使われている柱は、火山で一瞬にして埋没したポンペイ遺跡の古代神殿から発見されたものとか!

そんな大切な遺物を国外に持ち出してよかったのだろうか……
と、つい心配になってしまいますが、もう100年も前のことなので、当時はそのあたりが今よりずっとゆるかったのかもしれません。
それとも、白虎隊への敬意がそれほど強かったということなのかな。
白虎隊が見た会津の街並み・自刃の地にて

山頂の広場を出て、つるつる滑りそうな細い道を慎重に歩いていくと、会津の街を見下ろすように段々になった霊園が広がっていました。

そして、ここが白虎隊自刃の地です。
会津藩には、藩士を年齢ごとに編成した4つの部隊があって、その中でも藩士の子弟で構成された一番若い部隊が白虎隊。
幕末の戊辰戦争で会津藩は新政府軍と戦うことになりますが、戦況は次第に劣勢へ。
追撃を避けて飯盛山に上った白虎隊の隊士たちは、この場所から会津若松城や城下町のほうに煙が上がるのを見て、「もう負けたのだ」と悟り、敵の手にかかるよりはと自決したのだそうです。

実際には、この時点ではまだ会津若松城は落城していなかったようですが、最終的に会津が敗れるのは皆さまご存じの通り。
戦争で少年兵が亡くなるなんて、ことさら酷い話、悲しい話です。

そして、この出来事が後世に語り継がれているのは、ただ一人、奇跡的に生き残った隊士がいたからなんですって!
彼が語ったことで、この悲劇が公になったのだとか。
一人だけ生き残るというのも、それはそれで辛い経験をしたのではないかと想像しています。
雪が残る静かな時期に、飯盛山に来れてよかったです。


飯盛山のカフェで緊張感を解きほぐそう
つるつるの凍った小道を、また慎重に歩きながら、さざえ堂の近くのお土産物屋さんまで戻ってきました。
その隣のカフェで休憩です。

温かいコーヒーを飲んで、ほっと一息。
やっぱり寒かったし、地面がつるつるで怖かったし、ずっと力が入っていたのかも。

カフェの窓からも会津の街が見下ろせます。
今日は寒いから屋内にいるけど、テラス席もきっと気持ちよさそう。
春や秋なら、ここでのんびり景色を眺めたいところですね。

さて。
郡山に向かうのにはまだ早いし、もうちょっとこの辺りをお散歩します~

激動の幕末は悲劇が多い
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